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円の手ざわりはつるつるかざらざらか

 

2012
サイズ : サイズ可変
素材 : ミクストメディア
ギャラリーPARC(京都)での展示

 


円の手ざわりはつるつるかざらざらか
 
「円は無数の多角形であることを証明する数式があるんだよ。」
 
その言葉を聞いたとき、私の中で何かが崩落した。
それもわりと大きなものが。
円を完璧なものとして敬い憧れ続けてきたそれまでの私はいったいなんだったのか。
それからの数週間、私はまるいものを見れなくなった。
 
それから少し経ってなんとか精神を回復させ、私を絶望の淵に落としこんだ友人に数式の説明を求めた。
結果、納得しなかった。
しかしこの一連の出来事は私に新たな感覚を想起させた。
円に無数の角があることを1000歩譲って認めるなら、その手ざわりはいったいどんなだろう。
絵画の中の女性の肌のやわらかさを想像することはあるけれど、図形の手ざわりなんて考えたことも無い。
いったい円の手ざわりはつるつるなのだろうか、それともざらざらなのだろうか。
 
私は幼少の頃からマンションの立ち並ぶニュータウンで育った。
そこは便利で快適ではあるものの、内側にあるはずの人間の生活を見せることを過剰なほどに拒む。
プライバシーを守ることと引き換えに街は均質化し、あらゆる感覚機能はどんどんと衰えていく。
私は焦燥感を感じずにはいられなかった。
 
私は広告から間取り図を無数に切り抜くことで奪われた感覚を取り戻したかったのかもしれない。
それは二次元へと圧縮された間取り図を三次元へと引き戻すかのような作業で、世界と自分の存在を確認することなのだ。
無数に組み合わせた間取り図は、情報は無く、意味を失い、タテとヨコの線へと還元される。
フレームとして、幾何学的な形として、ただただ物質としてそこに存在する。
 
幾何学的なかたちに無性に憧れる。それはあらゆるくだらなさを超えた世界があることを示唆してくれる。しかしそんな憧れを抱きながら、同時に日々の欲求を否定することもできない。時に円をつるつると思い、時にざらざらと思い、時に手ざわりを否定しながら、自分に都合よく解釈しながら生きている。

The touch of a circle is smooth? or rough?

 

2012
size : size free
material : Mixed media
"Solo exhibition" at Gallery PARC, Kyoto

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